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L START FURANOの〔 L 〕は
ルイスヴィルの〔 L 〕

ダイナマイト原田の『アルペンスキーを極めるための一生涯世界レベルへの挑戦の旅』は続く

-長い遠征の原点、富良野-

1964年東京オリンピックの開催の歳に生まれ、1972年小学2年の冬にスキーで骨折しながら札幌オリンピックの映像に釘付けになった。それをきっかけにスキーに憧れた少年がアルペン競技を極める為の旅に出る。14名のクラスメイトの富良野から狩勝峠に向かって20km東、東山小学校の裏山で冬は毎日スキーを担いで滑り、昆虫を探しに山を駆け巡っていた。10歳の時両親が北の峰スキー場近くに家を構え、富良野市内の小学校に転校してようやくリフトに出会う。

真冬は-20度以上にもなる北の峰スキー場で来る日も来る日もスキーをした。リフトが終わった時期になっても朝と夕方担いでは滑り担いでは滑り、ジャンプ台のランディングバーンまで利用して滑った。興味がある物には何でも挑戦しスピードスケート、ジャンプ競技、クロスカントリーも経験している。富良野で開催された「アルペンスキーのワールドカップ」で世界の選手を目の当たりにし、”いつか世界で戦ってみたい”という夢を”目標に変える長い遠征”が始まった。

高校まで富良野で過ごし大学で日大に進学。ここから長い長い遠征が始まる。卒業後、スキーのプロとして生きる事を決意。日本国内のプロレース参戦後、アメリカコロラド州ボルダーに渡る。ワールドカップを経験していない自分を世界の舞台に立たせるため、その舞台がアメリカのプロスキーツアーの世界だった。F1選手がインディーに挑戦するかのように。

-たどり着いた地、ルイスヴィル-

アメリカ・プロスキーツアー転戦中にたどりついたロッキーマウンテンナショナルパークからほど近い、ボルダーカウンティのルイスヴィル(Lisvile)という小さな町。標高1300m以上の60年代のオールディーズが今でも流れるような建物が並びゴールドラッシュに沸いた時代を物語っている。当時を支えてくれた友人・仲間は、現在各国ナショナルチームのコーチとして活躍するなど、現在も深くつながりを持っているお蔭で若い選手たちへ恵まれた環境を提供出来るのも、この時の人脈にほかならない。

-選手として指導者として-

現役選手として活動しつづけながら、多くの選手達を長年にわたり指導しつづける日々。「ダイナマイトスキーレーシング」が発足され、その熱い指導と留まらず進化するメソッドに、国内トップから年代不問で数多くの選手が門をたたくレーシングキャンプとして全国から選手が引き寄せられるように集結する。自身もプロ選手としての活動をつづける決意とともに、選手育成に進化を止めず情熱を注ぐ。
最終ミッションである『世界で活躍する選手育成の為の場所』は故郷の富良野がふさわしい場所であることを確信し「L START FURANO」としてNEXT STAGEが始まりました。

富良野から始まり、アメリカコロラド州ルイスヴィルへ渡り、そして富良野から世界へ。

ここからのSTORYは、みなさまと共に。
長い長い遠征はまだまだつづきます。


■ 白銀を滑る環境の提案は、自主性を育てる環境の提案
■ スキーを極める旅は、同時に人間形成を極める旅
■ 世界レベルへの育成は、世界が認める人の育成
■ アルペン競技を極めるのは、常に進化し続ける無限の挑戦
■ 無限の挑戦は、実年齢ではなく心の年齢で生まれ変われるという頑固たる信念

速度を競い合うアルペン競技を極めると同時に、自然と共存でき、ぶれない人間性を養い、グローバルな人を育て、全ての社会で活躍できる人作りを最終目的にしています。


北海道の中心に誕生し、日本を駆け抜け、世界中を駆け巡り、夢を持ち続ける大切さを伝え、地球上がポジティブなマインドになるような夢を持ち続けたい。そして袖をすり合わせた全ての人の夢が目標に変化して実現への後押しができる企業を目指します。



□ 育てる事業
世界レベルのスキー選手育成
グローバルで活躍できる人への後押し
スポーツを通じ夢を目標にする為の協力
ウィンタースポーツの楽しさを伝える

□ 広める事業
故郷富良野の特産品や観光資源を世界に広める
スキー場の新しい利用方法の提案

□ 楽しむ事業
スポーツ用具販売
スポーツ用品レンタル

□ 健康事業
スポーツイベント企画
健康維持のイベント企画
健康維持のための施設作り
心の年齢教室
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